小説批評 ―精密採点books―

本の感想を書き、批評をするレビューブログです。

『69 siyty nine』 村上龍 90点

『69 sixty nine』1990年出版。著者村上龍の自伝的小説。佐世保市を舞台に高校をバリケード封鎖する若者たちを描く青春小説。

 本作は村上龍作品の中で毛色の違う小説であり、ドラッグもセックスも老婆の吐瀉物も出てこない。著者がこんなに明るい小説を書くことはないというほど実に軽快な青春小説である。よって他作品から入った人は違和感を覚えるかもしれないが…。

 本作の傑作たりうる由縁はいくつかあるが、やはり一つは”古さ”というものを感じさせないところであるだろう。古さというのは背景的なものではなく、1969年という50年以上前を舞台にしていながら、17歳の少年たちは現代の少年たちと変わらないように、下らない猥談をし、虚勢を張り、おしゃれなカフェに通い、そしてしょうもないような理由でバリケード封鎖を起こす。バリケード封鎖という現代では理解できないような行動も、生き生きとした少年たちの姿を通して見れば理解できて?しまうのだから不思議である。政治的に混乱した時代であっても馬鹿な男子高校生の姿というのは今も昔も同じなんだなあとしみじみとさせられる。

 タイトルの69というものも、淫語でありながらどこかスタイリッシュで、今作に合ったこれ以上ないタイトルであり、『限りなく透明に近いブルー』や『海の向こうで戦争が始まる』などの素晴らしい表題を付けてきた龍のセンスを感じる。最終章の主人公たちの顛末もいかにも青春小説という感じで個人的には非常に好みである。

 本作はただ馬鹿をする自分たちを無意味に賛美してみたり、ありきたりな友情や恋愛を描く凡百の青春小説とは一線を画す小説であることは間違いないだろう。 

『Iの悲劇』 米沢穂信 68点

 『Iの悲劇』2019年出版。限界集落に移住者を呼び込むために働く”甦り課” に勤める市役所職員の主人公が、移住者たちに起きる謎やトラブルを解決する日常の謎系連作短篇ミステリー。

 所謂日常の謎を扱うミステリ、小さな謎が繋がっていく、ビターエンドを迎えるというのは『氷菓』や『本と鍵の季節』で見られるようなお決まりの米沢穂信の作風と言えるだろう。

 流石に登場人物のキャラクターを立てるのも上手く、甦り科の面々の3人、いかにも公務員といったかんじの主人公万願寺や、やる気がなく昼行灯のような風体の上司の西野、いかにも元気のいい軽い若者といった感じの新人の遊香(このキャラは『二人の距離の概算』の大日向を連想させる)、一癖もふた癖もある移住する住民たちは魅力に富み(これが本作の大きな評価点である)、暗いストーリを感じさせない遊香と万願寺の軽妙な掛け合いは流石実力派作家といったものがある。

 しかしながら、米沢作品の常とも言えるが連作短編である以上、一つ一つの謎がミステリとしては弱く(鯉の消失の章などは顕著)、また、滅びゆく地方都市という題材にしては雰囲気や文章が軽く、学生を主人公とした作品にはあっていても、本作とのテーマとの齟齬があるように感じた。(『ボルトネック』などでは北陸の陰鬱な空気感を上手く表現できていたのが……)

 タイトルは名作古典ミステリ『Yの悲劇』のパロディであり、文中のそして誰もいなくなった。などもアガサ・クリスティを意識しているのであろうが、本作のトリックの弱さは拭いきれない。

 総評としてはトリックの弱さをキャラクターで補った、良くも悪くもいつもの米沢穂信といった感じであろうか。米沢は連作短編ではなく、本格ミステリ『満願』や『折れた竜骨』など長編ミステリも傑作があるので、二作続けての連作短編ではなく、そろそろ長編を書いてもらいたい。

 やはり、現代ではアニメやライトノベルなどキャラクター性が重視される創作物が流行している背景もあり、ミステリもキャラクター性というものがストーリーよりも重視されるということなのだろか。